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会津の奥座敷・東山温泉は今から約千三百年前、名僧・行基によって発見されたと言われ、奥羽三楽郷に数えられる歴史ある温泉郷です。
人口十二万人の会津若松市の中心地から車でわずか10分程度の便利な場所にこれだけの規模と歴史、豊かな美しい自然を誇る温泉地は他に類を見ません。
竹久夢二や与謝野晶子などの墨客にもこよなく愛された湯の街でもあります。


泉質 硫酸塩泉(カルシウム・ナトリウム-硫酸塩・塩化物温泉)
湯量 毎分 約1,500リットル
源泉温度 50℃~60℃
効能 リウマチ性疾患・運動器障害・慢性皮膚疾患・創傷・虚弱児童・慢性婦人科疾患・更年期障害・動脈硬化症・高血圧症・痛風及び高尿酸血症

開湯は8世紀後半、または天平年間に行基によってなされたと伝えられる。伝承によると、三本足の烏に導かれて発見したという。江戸時代には会津藩の湯治場として栄え、会津若松の奥座敷として発展した。会津民謡に登場する小原庄助ゆかりの温泉とされる。
 







 
葦名家の重臣大町左京盛胤にとてもうつくしい一人娘「千穂姫」がいた。 千穂姫には領主の直盛公の小姓で簗田衛門という許婚がいたが、領主直盛公が千穂姫の評判を聞いて父盛胤に千穂姫との結婚を責まった。 千穂姫はその結婚を拒みつづけた。 しかし、父盛胤が留守中に領主直盛公直々の召出し状がもたらされ、千穂姫は途方にくれ死を決心する。 羽黒川(湯川)の渕にたどりつくと身を清め、湯上羽黒山三社権現の奥の院に二十一日間祈願し、満願の日、夢枕に「無常の恋を諦めて、仏門に入るように…。」とお告げがあったが、衛門との恋を諦められず渕へ身を投げた。すると、軍茶利、妙見、観音の三尊が現われ、姫を救い上げた。 それを見ていた別当東光寺の行智上人は千穂姫に仏門に入ることを勧め、上人の弟子となり「智尚尼」と改めて仏門に入った。 その後千穂姫が身を投げた渕を「尼渕」と呼ぶようになった。



 
昔、城下町に近い柳原に藤という娘がいた。 その娘には想いを寄せる男がいて、滝向こうの不動尊へ祈ってその恋が叶うようにと願かけ参りをし、その満願の日の夜、背に火焔を負った不動明王が突如現わ れ、「東山の入口にある松の三又の古木がる。その枝に石を投げて縁の有無を試しなさい。石が松の枝に留まれば願いが叶えられ落ちたらあきらめなさい。」と いって消えた。 娘はその松の木の下に来て一心を込めて石を投げてみたが、石は枝に留まらなかった。 無念に思い、狂気の如く石を投げても、石は留まらず娘は悲嘆のあまり渕に身を投げてしまった。 よって藤身ヶ滝と呼ばれるようになった。現在では、伏見ヶ滝と変わり、その松を石上松と呼んでいた。 今では、その松は大雪の年に雪倒れしてしまった現在ではもうなくなってしまった。

 




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