羽黒山湯上神社の創建は天平年間(729~49)、行基(奈良時代の日本の僧)によって勧請されたのが始まりとされ、出羽三山(山形県鶴岡市)の羽黒神社(現在の出羽三 山神社)とは密接な関係を持ち、行基が羽黒山山頂で3本足のカラスに導かれ軍荼利、妙見、聖観音が出現した由来と、出羽三山の由来で峰子皇子(第32代崇峻天 皇の皇子)が3本足の霊鳥に導かれ、羽黒権現、月山権現、湯殿山権現を勧請した事が類似し、同じ倉稲魂命を主祭神として祭っています。
当初は神仏習合し、別当寺である東光寺が修験道の拠点として大きな影響力を持つようになり最盛期である室町時代には山内には300余りの院宇が軒を連ねていたと伝えられています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後の廃仏毀釈運動により仏式が廃され羽黒山湯上神社となっています。8月には例祭の「さんげさんげ(出羽 三山でも同様な神事が残され、私利私欲、煩悩を懺悔すると云われています。)」が大晦日から新年にかけては「元朝詣り(年越し蕎麦を食べてから参道 1225段を登り初詣を行う行事)」が行われています。
社宝である銅造聖観音薩立像は昭和35年(1960)に福島県指定文化財に参道にある2本のモミの 木が平成16年(2004)に自然景観指定緑地にそれぞれ指定されています。
|