白虎隊の街 福島県会津若松の東山温泉温泉。會いたい昔に會えるまち。「東山温泉観光協会」公式WEBサイト ▶ENGLISH  ▶繁体字 ▶簡体字

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人口十二万人の会津若松市の中心地から車でわずか10分程度の便利な場所にこれだけの規模と歴史、豊かな美しい自然を誇る温泉地は他に類を見ません。
竹久夢二や与謝野晶子などの墨客にもこよなく愛された湯の街でもあります。
東山温泉のお湯は、サラサラの硫酸塩泉。 心の芯までごゆっくり温まり、至福のひとときをお寛ぎください。


  鶴ヶ城は今から約630年ほど前に、その前身ともいえる東黒川館を葦名直盛が築いたのがはじまりと言われ、戊辰戦争では約1ヶ月に及ぶ激しい攻防戦に耐えた名城として、その名を天下に知らしめました。
明治7年に取り壊されましたが、昭和40年に再建、平成13年には天守閣に続く建物「干飯櫓・南走長屋」が江戸時代の工法・技術を用いて復元されました。天守閣の内部は郷土博物館となっており会津の歴史に触れることができます。
平成23年には赤瓦へのふき替えが完了し幕末当時の姿を再現し、現存する天守閣では国内唯一の赤瓦の天守閣となっています。

スポット情報
名称 鶴ヶ城天守閣(国指定史跡・若松城跡)
場所 福島県会津若松市追手町1-1
アクセス お車で10分 ハイカラさん・あかべぇ「鶴ヶ城入口」下車、徒歩5分
電話番号 0242-27-4005 (会津若松観光ビューロー)






  会津武家屋敷は江戸時代の会津藩家老西郷頼母の屋敷を中心に、福島県重要文化財である旧中畑陣屋や数奇屋風茶室、藩米精米所などの歴史的建造物が軒を連ねる屋外博物館(ミュージアムパーク)です。江戸中期の和建築の枠を集めて造られた38部屋ある家老屋敷では各部屋をどの様に使用していたかをろう人形を使ってリアルに再現しています。敷地内には会津歴史資料館、会津の代表的な仏画を中心に展示した美術館・青龍の他、会津・福島の名品を揃えた総合売店「郷工房古今」や会津の伝統的な郷土料理が味わえるレストラン「九曜亭」などが併設されています。赤べこや起き上がり小法師の絵付体験などもできます。 また、会津武家屋敷、西郷頼母邸や会津の歴史などを楽しく学びながら見学して頂ける探検クイズカード(1枚300円 3種類)を用意しています。 全問正解者には記念品贈呈。

スポット情報
名称 会津武家屋敷
場所 福島県会津若松市東山町石山院内1
アクセス お車で5分 ハイカラさん・あかべぇ「会津武家屋敷前」下車
電話番号 0242-28-2525






  国史跡。東山温泉に近い広大な森の中にあり、規模の大きさ、神式による墓碑の歴史的景観は、江戸時代大名家墓所の中でも他に類をみない荘厳な雰囲気をもっている。2代正経から9代容保までの墓。
藩祖保科正之の長男正頼が亡くなった明暦3年(1657)、正之の命によりこの院内山を開いたのが始めである。
左方の藩主の子供や夫人たちの墓の中に正頼の墓もある。さらに左手の山腹に松平家2代正経の墓(仏葬)、頂上には3代正容から9代容保の墓所が並んでいる(神葬)。なお初代保科正之の墓は猪苗代町見祢山にある。
スポット情報
名称 院内御廟(国史跡 会津藩松平家墓所)
場所 福島県会津若松市東山町大字石山字院内
アクセス お車で5分 ハイカラさん・あかべぇ「会津武家屋敷前」下車
電話番号 0242-39-1305 (会津若松市教育委員会文化課)






  戊辰戦争のおり、16~17歳の少年たちで編成された白虎士中二番隊20人が戸の口原合戦場から退却し、滝沢峠の間道を通り、戸の口堰の洞門をくぐり飯盛山に辿り着くと、鶴ヶ城の天守閣は黒煙の中に見え隠れして、「城は陥落したか、今は主君のために殉じよう」と、全員が自決しました。20名のなかで1人だけ生き残った 飯沼貞吉 によって、白虎隊の忠義と悲運の物語は広く人々に知られるところとなりました。
「飯盛山」という名前の由来は、この山が飯を盛ったような形なので、この名前が付けられた。戊辰戦争(会津戦争)時、会津藩の少年たちで構成される白虎隊士中二番隊が、戸ノ口原の戦いでの奮戦空しく撤退する際、この地で鶴ヶ城周辺の武家屋敷等が燃えているのを落城と錯覚し、もはや帰るところもないと自刃した地でもある。「白虎隊十九士の墓」には、年間200万人ともいわれる観光客が訪れ、墓前には早すぎる死を悼む香煙がたえない。
白虎隊ゆかりの史跡が点在し、他にも国の重要文化財に指定される「さざえ堂」などがあります。
スポット情報
名称 飯盛山(白虎隊十九士の墓)
場所 福島県会津若松市一箕町八幡弁天下
アクセス お車で15分 ハイカラさん・あかべぇ「飯盛山下」下車、徒歩5分
電話番号






  当時の会津藩の上級藩士の子弟は10歳になると日新館に入学した。15歳までは素読所(小学)に属し、礼法、書学、武術などを学んだ。素読所を修了 した者で成績優秀者は講釈所(大学)への入学が認められ、そこでも優秀な者には江戸や他藩への遊学が許された。全国に数ある藩校の中でも屈指の教育機関で あると言える。
藩校日新館を復元した施設で、当時の少年たちの勉強ぶりを知ることができます。
1868年(慶応4年)、戊辰戦争により校舎は焼失。現存するのは会津若松城趾西側に残る天文台跡のみ。
スポット情報
名称 會津藩校日新館
場所 福島県会津若松市河東町南高野高塚山10
アクセス お車で20分 磐越自動車道「磐梯河東I.C.」より車で5分。「会津若松I.C.」より車で10分。
東北新幹線で郡山へ。JR磐越西線に乗り換え「会津若松」下車。JR会津若松駅よりタクシーで15分、バスで30分
電話番号 0242-75-2525
 







 

羽黒山湯上神社の創建は天平年間(729~49)、行基(奈良時代の日本の僧)によって勧請されたのが始まりとされ、出羽三山(山形県鶴岡市)の羽黒神社(現在の出羽三 山神社)とは密接な関係を持ち、行基が羽黒山山頂で3本足のカラスに導かれ軍荼利、妙見、聖観音が出現した由来と、出羽三山の由来で峰子皇子(第32代崇峻天 皇の皇子)が3本足の霊鳥に導かれ、羽黒権現、月山権現、湯殿山権現を勧請した事が類似し、同じ倉稲魂命を主祭神として祭っています。
当初は神仏習合し、別当寺である東光寺が修験道の拠点として大きな影響力を持つようになり最盛期である室町時代には山内には300余りの院宇が軒を連ねていたと伝えられています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後の廃仏毀釈運動により仏式が廃され羽黒山湯上神社となっています。8月には例祭の「さんげさんげ(出羽 三山でも同様な神事が残され、私利私欲、煩悩を懺悔すると云われています。)」が大晦日から新年にかけては「元朝詣り(年越し蕎麦を食べてから参道 1225段を登り初詣を行う行事)」が行われています。
社宝である銅造聖観音薩立像は昭和35年(1960)に福島県指定文化財に参道にある2本のモミの 木が平成16年(2004)に自然景観指定緑地にそれぞれ指定されています。


スポット情報
名称 羽黒山湯上神社
場所 会津若松市東山町湯本積り86
アクセス 車:ハイカラさん・あかべぇ「東山温泉駅」から徒歩20分
案内 ご利益:家内安全・厄除け・無病息災
例祭日:9月2・3日 例大祭
所有文化財:銅造聖観音菩薩立像(県重文)






  東山温泉の裏山 背あぶり山に風力発電所8基が稼動を始めました。「背あぶり山」は会津盆地と猪苗代湖をへだてる標高870メートルの山です。会津盆地、猪苗代、磐梯山を一望にすることができますので、お時間がございましたら是非一度登って見て下さい。
スポット情報
名称 会津若松ウインドファーム
場所 福島県会津若松市
アクセス 山頂まで約10Km(車で約20分)
※但し県道東山温泉線は例年12月~5月の連休前までは通行止めとなります。
電話番号




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